
GFX100
いまさら、と思いつつもGFX100について。
筆者が普段使っているカメラはCanon EOS 5Dsとα7RⅡという、
どちらも相当の高画素機である。
ただ、高画素数ではあるがイメージセンサの大きさは他の5Dあるいはα7と何ら変わらない。
だから撮影データを見てもファイルサイズとピクセル数が大きいほかはあまり大きな差が出ない。
一方でGFXシリーズはセンサーそのものが大きいので明らかに違いが出てくる。
富士フイルムという、フイルムメーカーの自負が現れるフイルムシミュレーションも特徴の一つであるが、
総じて他の一眼レフメーカー機とは何か違う感じがする。
描写というか空気感というか。
これは全く感情的なもので、いかんとも評価し難いものである。
ダイナミックレンジを任意の設定値に選べるのも良い。
これは行灯が白飛びせず、周囲もそこそこに明るく写し込んでいるので驚いたカットだ。
肉眼ではちょっと眩しいくらいの行灯だったのだが。
動画もいちおう撮れる。
動画に限らず本機で撮った物はすべて重すぎて解像度を落としているが、
4K,24fpsで撮った画質というものはこれまた見事ですよ。
はっきり言いやすい事といえば、操作性が悪い。
メニュー画面にせよ撮影中の設定変更にせよいまひとつ垢抜けない。
ニコン、キヤノン機みたいにノールックで何か設定を変えようなんて無理だ。
シヤツター音も驚くほど大きい。
ミラーレスなのにミラーでも入っているのかというくらい動揺を感じる。
そもそも大きすぎる本体にコンパクトさの欠片もないレンズたちを付ければ結構な重さだ。
連写は全く向いていない。
そういう機能は一応あるけれど、連写していればじきにメモリーカードへの書き込みが追いつかず止まる。
そもそも70MBを超えるRAWデータを一体どれほど保存させられるというのか。
だけど私はGFXが好きだ。
撮った写真が明らかに違う。
驚異的な解像力がもたらす雰囲気は、ほかのカメラでは得られない唯一無二のものだ。
それに撮影という行為への向き合い方がなんとなく昔に戻ったような気がするのだ。
前述した欠点がすべてまるでフイルムカメラのようではないか?
筆者がかつて愛したハッセルブラッド…あの、枚数はとれないけれどずば抜けて美しい描写。
ポートレートに用いるなら被写体と会話しながら、数秒間の「間」が次のカットを創造させる。
建築に向き合うなら私と被写体とその間にある自然とを巻き込んでその全てを飲み込む。
よーく狙って、じっと待って、祈りながらシヤツターを切る。
きっとうまくいったと信じながらLightroomに入って…
さて、そんなGFX100もやがて終焉の時は近づいている。
本体が製造終了となって久しいが、近頃ついに専用バッテリーNP-T125も終売となった。
もっとも既に後継機があることなので驚くことではないだろうが。